自分ひとりで何とかする、という決意

先日、軽トラでコンビニに行き、

用事をすませて帰ろうとすると、

なんとエンジンがかからないではないか。

 

実は結構前から、バッテリーが弱ってきており、

今回は、セルをずっと回している間に、

バッテリーが息絶えてしまった。

 

これが普通の車ならば、ポンコツ車め〜と、怒ってしまいそうな所だが、

僕の場合は、もともと2年前に15万そこらで購入した車である上、

バッテリー交換、定期点検、オイルやウインカー、ワイパーの交換など、

何もせずに放ったらかし状態だったので、

「むしろ、こんな地味なトラブルで良かった。

たとえば、急に交差点で動かなくなるとか、

エンジンが焼き付いてお釈迦になるとか、

そうなる前に気づかせてもらって、感謝だな〜」

と思うことにした。

 

さて、それは置いておいて、「どうしようか?」

幸い、こういう時のために、ブースターケーブルは常備しているが、

誰かに、バッテリーを繋がせて下さい、と頼まなければならない。

 

真っ先に頭に浮かんだのが、

いつも何かと助けてもらって、お世話になっているK氏だった。

「しかし、いつもお世話になり過ぎていて、申し訳ない」

と、電話するのを思いとどまった。

 

次に浮かんだのが、友人のT氏だった。

「彼なら、時間的にも少し余裕がありそうだから良いか」

と思い電話したが、繋がらなかった。

 

それ以外の友人達は、皆おそらく仕事中だし、

コンビニの駐車場にいる誰かに頼むのも、気が引けたし、

近所のガソリンスタンドに頼むのも、お金がかかりそうなので、やめた。

 

いろいろ考えた挙句、

歩いて自宅まで帰り、もう一台の車で来て、

それで軽トラを救出することにした。

 

自宅までは、歩いて約一時間かかる。

そのうえ、また救助車を取りに戻って来なければならない。

しかしこれが一番、他人に迷惑をかけない方法だ、と思った。

 

今まで僕は、心の奥で、

「もし何かあっても、きっと誰かが助けてくれるから大丈夫」

と思い、自分ひとりで何とかしようとしてこなかった、と思う。

親、妻、友人、上司、先輩、通りがかりの人…

甘えるだけ甘えておいて、周りに対しては、何も返してこなかった。

その証拠に、周りに「借り」はたくさんあるが、

「貸し」がある友人はいない。

もし、いま、誰かに助けてもらっても、

そのお礼として、お金も、別の「何らかの価値」も、

今の僕は与えることができない。

人徳も無い、器の小さな、自分。

そんな自分には、こうやって一人で苦労して歩くのが相応しい。

 

そんなことを考えながら、ひたすら歩いた。

 

30分くらい歩いた所で、

後ろから走ってきた軽トラが止まった。

いつもお世話になっている、うちの近所のI氏だった。

「おい、どうした。乗っていけ。」

と言って、乗せてくれた。

 

家の近くまで乗せてもらい、

お礼を言って別れながら、

 「自分ひとりで何とかするつもりだったのに、

けっきょく今回もお世話になってしまった。

今は何も返せないけど、いつか恩を返そう」

と心の中で思った。

 

これが本当の感謝ということかも知れないな、と思った。

 

今回の件で、強く学んだこと。

自分で出来ることは、自分ひとりで何とかするという決意を持て。

そして、まず一歩一歩、歩め。

それが、人生に責任を持つということだ。

そうすれば、必要な時には、誰かが助けてくれる。

 

そして、

自分ひとりで何とかする決意の無い人間は、

他人に感謝することができない。